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本のこと 本のある場所のこと

       私がお世話になった大切な本のこと 本がある場所のことを書きました。              ここに来てくれた方の今のこと 先のことが考えやすくなればとてもうれしいです。       

アメリカにいる、きみ           C・N・アディーチェ

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どこかの国で何万人の人が死んだ。

テレビのニュースで知ることがある。

知るのだけれど、「知る」より先に心がすすまない。

遠い国だからか、規模が大きいからなのか。

他人事って書くと、とてもいやな感じに聞こえるけれど

ほんとにそんな風にしか思えていない気がする。

 

「アメリカにいる、きみ」は限りなく優しい、

みんなのわかる言葉を使って紡がれた物語。 

この物語の中にわたしの体験したことのある出来事は一つもない。

なのに、どうしても他人事にならなかった。

自分の日常と重ねて、自分の心を使って実感しようとしていた。

 その国で生きたわけでも、その時代を過ごしたわけでもない。

けれど物語の中に息づく、さまざまな命の歩みを自分の中に

確かに見つけてしまう。

 

物語に込められた思いの強さ、作者の表現力、読み手の心のあり方。。

たくさんの奇跡が重なり合ってこんなすばらしい作品が生まれるのだと思う。

 

でも確かに思うのは、

チママンダさんの物語には、神さまみたいなものが入っている。

本当にそう思う。

 

こうやって文章にしてしまうと、ちんぷに感じてしまうし

わたしの筆力じゃこの物語の持つ力は絶対に伝わりきらない。

わたしがこんな風に考えたり、

分析みたいなことをするのも少し恥ずかしいというか、おこがましく思う。

 

でも確かにこの作品には神様がいて、

遠い国で生きる、知らない人の命の存在を、

わたしに、わたしの心を使って考えさせてくれた。

 

表現することは自由だと思っているし、自由であるべきだと思う。

わたしもここにこうやって思うことを書かせて頂いている。

ただ、この本を読んで、チママンダさんの「表現」に出会って改めて思った。

表現したものが、受け取る人の心に直接ふれて、

その心の一部になってしまうことが確実にあると。

 

わたしに才能はない。

それでも表現させてもらえる場所があるならば、自分の全部を注いで、

嘘なく丁寧に書いていこうと思う。

ブログを書くことも、仕事をすることも、どんな場所でも。

自分の作り出したものが人の心の一部になる可能性があるから。

 それは些細なことなのかもしれないけれど、たしかなことだと感じる。

  

最後にある著者のインタビュー。

「わたしは書きます。書かなければならないから。

わたしが書くことを選んだのではなく

書くことがわたしを選んだと言いたい気持ちです」。

 

この本がわたしのもとに届いたように、世界中の人に届いてほしいと思う。

 美沙