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本のこと 本のある場所のこと

       私がお世話になった大切な本のこと 本がある場所のことを書きました。              ここに来てくれた方の今のこと 先のことが考えやすくなればとてもうれしいです。       

あなたが消えた夜に  中村文則

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自己啓発本の類いが好きでよく読む。

でもそれは自分の中でうっすら進む道が見えている時、

答えがわかっているけれど動けない時お世話になっているように思う。

進めなくなった時、わからなくなった時、私はいつも物語を探す。

 

尊敬する人の話を聞くことも、恋をすることも、知らない場所に行くことも

全部私の頭と心をパワーアップさせてくれるし考えやすくなるけれど

やっぱり誰かが作ってくれた物語を読むことが、

私にとって一番助かる。

 

だから私の本棚には私の救われる物語が並ぶ。

それは私が生きていきやすいように今まで自然と選んできたんだと思う。

自分の信じたい答えを探すような、そんな気持ちで物語を読んできた。

 

だからこの本に出会った時は怖かった。

 

人の無意識の選択が積み重なってたどり着いた

救われない人生が絶対的に存在することが書かれてあったから。

 そもそも、本当に無意識というものがあるのか、

あればそれは人にとって幸せなことなのか。

 

この物語には無責任じゃない、きれい事じゃない作者の思う現実がある。

その現実はその人が自ら育ててきたのか、それともすでにそこにあって

必然的に触れなければいけないものだったのか。。

 

そんな現実の中でもひたすら続く命の存在があることを

物語を通して強く訴えかけてくる。 

もしかしたら、人とその人の命は別物なのかもしれない。

それが正しいのかわからないがそんな風にも考えさせられた。

 

 この先、自分がこの世に存在していることが怖くなるくらい

救われないと思う日が来るのかもしれない。

それでも、ただ命は続いていくことをこの本は教えてくれた。

 

あとがきの最後には中村文則さんのメッセージがある。

「共に生きましょう」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深い河  遠藤周作

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10代の頃1人でインドへ行った。

それを話すと、さも旅慣れているように思われがちだけど

私は海外旅行の経験がほとんどない。

高校生の頃、修学旅行で行ったシンガポール

ついこないだ韓国のアイドルが好きな友達に連れてってもらった韓国、

そしてインドだ。

 

きっかけは旅学という雑誌で見た1枚の写真。

インドの聖地と言われるバラナシの町並みとガンジス川が映っていた。

その日その雑誌を買って帰り、1ヶ月後にはデリー行きの飛行機に乗っていた。

 

当時はその写真の何がそんなに良かったの説明できなかったけど

今考えるとその色合いが気に入ったのだと思う。

ガンジス川の茶色か灰色か何とも言いがたい水か何かわからないものの色、

それと対照的にパキっとしたオレンジや青や緑のカラフルな、

健康的に古びた建物が並ぶ町並み。

それが見たかった。

インドに行きたかったというよりはバラナシの色が見たかったのだ。

 

だから私はデリーについてからも一切観光をせず、バラナシにしか行っていない。

あの有名なタージマハルも見なかった。

 

インドに行ったら人生観が変わる。

巷でよく言われているように私もインドでは色んな経験をした。

カメラをなくしたり、お腹を壊したり。。なはずなのだが

時間が経つにつれて、あの時起きた全部の出来事の記憶と

その時の自分の気持ちが、やっぱり薄まってきた。

私の人生の中でも絶対的に濃かったはずの時間。

それでも他の日常と同じように薄まってきた。

 

そんな時に深い河を読んだ。

そして薄まりながらもはっきりと残っている記憶があることに気がついた。

 

それはバラナシで見かけたおじいさんのこと。 

 

私は同じゲストハウスに2週間泊まっていた。

ガンジス川からゲストハウスまで続く路地を毎日歩いた。

その路地の入り口、ちょうどガンジス川が見える場所に

毎日座っていたおじいさんがいた。

 

ほとんど裸のような格好で、川の水が少し流れている湿った溝に足をつけて

錆びた金色みたいなコインを足で踏んでいた。

上半身だけ日の光に当てられて毎日同じポーズで座ってガンジス川の方を見ていた。

そのおじいさんの前を通り私は毎日歩いて川まで向かった。

 

インドの空港についてからそんな風景にはたくさん出会ったし、

というよりそんな風景ばかりのはずだったのにそのおじいさんだけがなぜか残った。

 

ゲストハウスの人に夜は危ないから外にでないほうがいいと言われ

暗くなるまでにはいつも部屋に戻っていたのだが、

一度だけ夜に1人でその路地を通った。

最終日にメインガートでお祈りがあると聞いたから。

 

その時もおじいさんはそこにいて、

同じ姿勢で座っていたのだけど、ただおじいさんの上半身に光が当たっていなくて

上半身も下半身も真っ暗だったから怖かった。

おじいさんが怖かったのか、その路地が怖かったのか何なのかその時は

よくわからなかったけど、怖いと思ってることがいけないような気がして

なんか自分がその場に居ることがいけないような気がして足早に通り過ぎた。

 

小さい頃眠れないとき、みんなが羊の数を数える代わりに

自分の友達の家の夜ご飯の風景を想像しようとして

全く想像できないのを繰り返して眠くなってきて、いつのまにか眠りについていた。

私は私以外の人の時間が同じように進んでいることが全然想像できなかった。

 

大人になってからはそんなことしていないし

すっかり忘れていたけど、そのおじいさんを見てそのことが頭に浮かんだ。

私はこうやってインドまで来て、色んなものを見て、味わって

これからもこうやって生きて行くことが当たり前で普通だと思っていた。

それが生きるってことだと。

 

そうじゃない「生きる」を見つけていたのがあの路地だったのかもしれない。 

だから怖かった。

 

インドのことも宗教のことも祈りのこともカーストのことも、

そのおじいさんのことも私は全く何も知らない、何もわからない。

生きることをインドの人がどう考えているのか

そもそも自分とそのおじいさんの生を比べるというか考えることすら

間違ってるんじゃないかとも思う。

 

物語にたびたび登場する「輪廻転生」という言葉。

生まれかわることを信じて今を生きている人がインドにはいる。

 

私は今、今だけを自分に与えられたものとして生きている。

どちらの生も確実に同じ時間で同じように存在している。

 確かに私とそのおじいさんは同じ時間を過ごしていて

同じように生きていた。

 

それを認めることも、見過ごすことも今の私は完璧にできていないし

これから先もできるかわからない。

けれど確かに自分で味わった。

 

あのとき何も知らないままインドに行ったから、

「バラナシの色」以外のものをきちんと自分で味わったから、

今この作品に出会える時期になったのかなと思う。

考えることを与えてもらえたのかなと思う。

 

私は生きてる限りは

自分が感覚的に惹かれたもの、心にひっかかったものを

考えて、確かめて過ごしていきたいなと思う。

それが私の「生きる」だと思うから。

 

深い河はそれを教えてくれた。

きみはうみ  西加奈子

 

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私はSNSに疎い。

人からすすめてもらってFacebookに登録したり

何度かそういう類のものをチャレンジしたけれど結局続かなかった。

 

以前SNSをしていなくて寂しい思いをしたことがある。

中学生の頃通っていた塾で、送迎バスが一緒だったAちゃんが

赤ちゃんを産んだらしいと友達から聞いた。

 

そのことを教えてくれた友達はFacebookで偶然知ったとのことだった。

 

私とAちゃんは同じ中学校じゃなかったし、

塾でも同じクラスじゃなかったけれどバスの中ではよく話した。

Aちゃんはとても絵が上手で、当時私がポルノグラフティのアゲハ蝶が好きだと

話したら後日ルーズリーフにちょうちょの挿絵と歌詞を書いてくれた。

 

でも塾を卒業してからは連絡をとることもなくなり

Aちゃんのこともすっかり忘れていた。

 

その頃はそんな風に考えてこともなかったけれど

今思い返すとほんとに自然と居心地の良い関係だった。

クラスメイト、職場、みたいになんのくくりもなく

初めて自分で選んで、作った友達だった気がする。

 

今までSNSをしていないことで周りのスピードについていけていなくても

気にしたことは少なかったけれど、Aちゃんにおめでとうと言えていない自分は

少し寂しいというか、だめなんじゃないかと思った。

 

そう考えていたときにこの本を西さんが出してくれた。

 

「うつくしいってなんだろう。」

帯に書かれた文字を見て、なんとなく安心した。

 

「きみはうみ」には文章がほとんどない。

ダンボールに黒一色を塗っているだけのページなのに

とても美しく見えるのは西さんが心から「生きているだけで美しい」

と思って書かれたからだと思う。

 

私はタグ付けもきちんと説明できないし、

友達におめでとうを伝えるのにも時間がかかる。

けれどそれでもそれが私で、

私以外になったことがないからわからないけれど

日々過ごしていて私でよかったな!うれしいな!って思うことも少しはある。

 

 

そして周りの人に住所を調べてもらってAちゃんに手紙を書いた。

赤ちゃんが産まれたと聞いてとてもうれしくて少し泣きそうになったこと。

昔くれた絵付きの歌詞がほんとにうれしかったのにどこかへいってしまったこと。

急にこんな手紙を書いてひかれないかと思ったけれど、

どうしてもおめでとうと言いたかったこと。

全部正直に書いてポストに入れた。

 

人にしてあげられることも少ないし、

自分の良さを聞かれても答えられないけれど

それでも自分は自分の今までとこれからを大切にしてあげようと思えた。

 

いつも本は下から取らないし、

お風呂に持って行くからくしゃくしゃだけど

この本はきれいに置いている。

 

そしてAちゃんからは後日手紙が届いた。

来月会う約束をした。

 

 

 

 

ブログをはじめました。

はじめまして

美沙と申します。

 

本が好きで、たくさんではありませんが

毎日読んでいます。

 

今までお世話になった大切な本や

本のある場所についてきちんと残していきたいと思い

このブログを始めました。

 

文章を書くことは初めてですが

丁寧に書いていきたいと思っております。

 

このブログを読んで下さった方が、ご自身に必要な本と出会い

今のこと、先のことを考えやすくなったり楽になればとてもうれしいです。

よろしくおねがいします。

 

2016/1/18